地域医療研究会の歩み
青森地域医療研究会が発足するまで
EBMそしてTV会議システム
1998年、当研究会の八森淳医師が自治医大地域医療学教室で学んだEvidence-based
Medicine(EBM)を青森県内の地域医療に従事する自治医科大学卒業生に広めるために、TV会議システムを開始したことが直接の契機となりました。
当時、EBMという言葉がようやく日本国内で認知されるようになった時代でしたが、臨床を重視するといいながら臨床への利用にはなお壁があったものでした。しかし、EBMの理念は大学をヒエラルキーの頂点とする従来の医療のあり方に対する一種のアンチテーゼとして、地域医療を実践する自治医科大学卒業生に力を与えうるものであったことは間違いありません。
おりしもTV会議システムが注目されはじめた時期でした。医局を持たず、同じ県内とは言えお互いが分断された環境でへき地医療を行う卒業生が、TV会議システムを利用して定期的に顔を合わせ或いは勉強会を開催することは理にかなったものでした。青森県庁・医務薬務課の協力もあり、TV会議システムの定期利用が始まったのでした。これが青森地域医療研究会の原風景です。なおこの頃の詳しい内容は、研究会の八森医師が書籍で紹介しております
1。
リサーチ委員会
TV会議を用いたEBMの学習を通じて意外なことに気が付くようになりました。臨床にはあいまいな部分が驚くほど多く、教科書は思ったほど有用ではないということでした。そこで1999年に、卒業生の派遣先にリサーチ委員をおき、臨床から見える問題点をリサーチテーマとすることにしました。
在宅における終末医療やTV電話による在宅医療など、臨床の視点からのリサーチテーマがあげられ、いくつかの有意義な知見が得られました。しかし、リサーチの経験が少ない小さな集団の中で、お互いのモチベーションを高めていくことは本当に難しいことだと実感されました。
早期痴呆への関心と新たな地域医療研究会
2001年。既にアルツハイマー型痴呆症の治療薬が臨床に使用されていましたが、地域の現場の反応は比較的冷めたものでした。薬剤メーカーの情報は外来の感覚と合致しない、と感じておりました。外来で診断される痴呆症の頻度と80歳以上25%という疫学データの違いに違和感がありましたし、痴呆症の前段階の人がさらに多いとなると、にわかには信じられなかったのでした。痴呆の前段階或いは軽度認知障害(MCI)と呼ばれる病態や自然経過は外国のデータが散見されるものの、日本のデータはなく現場の感覚のずれは相当に大きく感じられました。
自治医科大学の卒業生が勤務する人口の変動の少ない地域を経年で観察することで、軽度認知障害(MCI)の自然経過がわかるかもしれない。そのためのスクリーニング検査の開発も可能かもしれないというアイデアを薬剤メーカーに提案したところ、幸い全面的な協力が得られることになりました。この間、東京都総合老人研究所の本間昭先生、矢冨直美先生から数回のご指導をいただいているうちに、研究会の方向に予想しなかった変化が生じました。
スクリーニングによって診断がつき自然経過が解明されたとしても、その後の社会的対応が不十分ならば、全てが医師の自己満足に終わることは明らかでした。地域への貢献を目的とし、受け皿となる地域の人的資源とシステムを意識した社会的な活動を目指した研究会という認識が生まれることになりました。ここで、研究会は卒業生だけの閉じたものから、他施設の医師・看護師・保健師・ケアマネージャー等を含めた開かれたものになったのでした
2。これが現在の研究会の基本スタイルであり、質的研究の1つである“action
research”に類似した活動と考えています3 。
(青森県六ヶ所村尾駮診療所・保健相談センター 青森地域医療研究会会長 松岡史彦)
文献
1八森淳.EBM教育プログラムの試み.In:
吉新通康,折茂賢一郎(編).現代地域医療のパラダイム.みらい,岐阜,1999,
p.168-181
2八森淳.痴呆を地域で支える.Medicina 40(10),
1718-1720, 2003
3Julienne Meyer. Using qualitative methods
in health-related action research. In: Qualitative
Research in Health Care, 2nd ed. BMJ books,
London, 2000, p.59-74